2008.06.29

カメラを持ち歩かないということ

ここのところ細かな用事から数ヶ月がかりの作業まで、

なんやかやと続いてわたくしにしては多忙な毎日であった。

一時このWeblogの更新が止まったのも多忙に任せてサボったからだ。

いや、更新だけなら本当は出来たはずで、それすらままならないと言ったら、

時間の使い方の下手さを公言するようなものだ。

精確には更新したくても出来なかったのである。

その理由は簡単で、ここのところカメラを持ち歩くのを止めてみたら、

見事にネタ切れになったという訳だ。

実はこの数日の更新はストックから引っ張り出しているのである。

従前、帰宅するとカメラには数十から下手をすると数百のファイルが保存されているのが

常であったから、手ぶらの帰宅はなんとも不安で心細い。

だが、その分出先で見聞きした事の印象が強くのこっている様に感ぜられる。

まるで意図的に作り出した飢餓状態を楽しむような気分だ。.

どうやら多量のファイルを生成する事ばかりに気を取られて、

写真に撮ると記憶したように誤解して、事象を引き出しに仕舞う事を忘れていたようだ。

もうすこしだけこの新鮮な感覚を楽しむことにしよう。

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2008.06.17

最近のこと

この半年ぐらいで、随分カメラを手放しました。

一番沢山売ったのは銀塩の古いカメラ。

これで残ったのは普段使っているデジタルカメラ以外だと、

70年代のヤシカと80年代のオリンパスのコンパクトだけになってしまいました。

まぁ銀塩はこの二台で十分好みの写真が撮れるので別に感慨は有りません。

私には銀塩の終焉だか再興だかも全く関心が持てません。

好きなヒトが好きなフォーマットを選べば良い話で、

いまさら「本物は銀塩」なんて言われても、何だか酒席の愚痴にしか聞こえません。

いや、別に銀塩写真に因縁売ってるわけでは無いのですよ。

ただデジタルと見ると、かたっぱしから因縁付けるヒトを見るのが馬鹿々しい、

そう思うのです。

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2008.03.02

個の記憶を拡張することは反社会的行為なのか或いは感情テロリストとしての閃光少女

東京事変というバンドの新曲が、「閃光少女」という曲でした。

要はこのバンド、椎名林檎さんの別プロジェクトのようなものなのだけれど、

今回も歌詞が素敵です。

「切り取ってよ一瞬の光を、写真機はいらないわ、五感を持っておいで」

これには素直に「はい」としか言えない私です。

しかし、最近知人の元音楽家と会う機会があったのですが、

非常に芸術に造詣の深い方だと思っていたのに

結局彼女の口から出てきた写真表現に関する見解は、

所謂複製芸術論的な非常につまらない話。

しかしこれが、一般的な写真表現に対するものの見方なのは事実。

写真家或いはカメラマンというと、

ヌードの巨匠か犬猫系せいぜい戦場カメラマンがやっといったところでしょう

しかしこれも間違いなく21世紀日本の現実な訳ですから、

目を逸らして生きてゆける訳もありません。

ではオザワにとっての写真表現とは何かと問われたとして、

答えに窮しそうな中で1つだけ申し上げれば、

電脳任せの急激かつ高速な個の記憶の拡張と、

その強引な流れによって生じた他者や社会との関係性の認識の歪みが現在よりも一層強くなり、

社会全体の持つ幻想的な共有(とされていた)の記憶との間の対立はもはや根源的とされ常識となる。

となります。

(ご覧の皆様の方が良くご存知かもしれませんね)

その時、散歩者であり、便乗者であるオザワエイイチは、

その騒動になんとかつけ入って、既得権を喧伝していることでしょう。

「私はその個の記憶の拡張のシンボルの1つであるデジタルカメラの先駆者だ!」

場違いな闖入者はあっと言う間につまみ出されるのが社会のルールとだけ覚えて置きます。

まぁこんな荒唐無稽な話も勿論大切ですが、

写真が本来持っているポテンシャルを過去からの蓄積と、最新の技術で引き出すのが、

何時の時代も、写真家に課せられた使命だと信じています。

そして、その努力を止めた瞬間に写真家は死ぬのだと思います。

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2008.01.06

モノローグ

目覚めるごく普通に。昨日の集金から相当額を差し引いた現金をスタジオへ入金。軽い嫌悪感、どうせ直ぐに消える。立ったまま、設備の撤去された編集室で現金を数える四十過ぎの男二人。改装中の機材、一億円のかけらが工業廃棄物として床に転がっている。瞬間視聴率全国一位、安いもんだろ?そう思う。昼を跨いで池袋へ移動。外資系の会社はみんなダイアルインで直ぐ隣の席の電話が鳴っていても誰も取らない。糞アメ公の真似がそんなに好きか?。地上げに勝ち抜きそして見放された薬局の看板建築。鳩の糞。低床バス。たなびく様な灰色のスカイライン。間抜け面の首に揺れるライカフレックス。フィルムたった一本に収まる人生にもたらされる奇妙な高揚感。

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2007.12.20

このまま

このままみちのうえに寝ていたら

冷血となりてしぬのだろうか

そのつめたきこころのまばたきが止まるのは

わがなせり不遜のむくいとして

つめたきこころはおもい知るのだろうか

終はてるぎはにもえたぎるようなさまと

消えいるようなさまのふたつがあるならば

われれいけつはどちらの色をのぞむのだろうか

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2007.11.26

リーダーズ・ダイジェストと10年後のインターネット

かつてリーダーズ・ダイジェストという雑誌があった、精確に申し上げると現在でもそのオリジナルである米国版等は発行されており全米で2番目に発行部数の多い雑誌だそうだ。だが残念なことに日本語版は1986年2月末で終わっている(と表記したのは廃刊か休刊か不明であるからだ)その理由は誌名が示す通りの編集方針にあった、つまりこの雑誌の記事は大半が他の雑誌や新聞あるいは書籍の要約であり、いわばペーパーメディアのグローバルタグのような存在であった。ある時期までは日本市場でも受け入れられたのだが(注 日本での創刊は1946年であったはずなので当初のことは調べていない)やがて物事を手軽に要約するべきではないといった”ダイジェスティブ文化批判”のような論調が増えて先に述べた顛末となる。まあその事自体は単純に定期刊行物のライフサイクルとしてみれば普通のことかもしれないが、翻ってこの21世紀初頭の現在こうして私も利用しているインターネットに当てはめてみるとどうだろうか(以下電子メイルやファイル転送などのコミュニケーションツールとしての側面はすべて除外する)確かにリサーチは非常に楽になった、この辺りはネットの海にいくらでもころがっている話なので割愛するが、個人的にはあの非常に不親切で非効率な国会図書館や親切だがコストが嵩み調べたい事象そのものよりコピーの枚数を如何に減らすかに心を砕かなければならずついでに近所に飲食店が無くなんとか行く気になるぎりぎりの距離にあるうどん屋はある意味人間博物館ともいえる大宅文庫等へ行かずともある程度の概要は手にすることが出来たような気分にはなる、しかしこれは結局自分の中の疑問を検索にかけると非常に関連性が高いものから全く無関係なものまで夥しい要約の海に放り出されてその先へ駒を進めると少しは役に立つがその数は無限大でその先にももっともらしい紀要やら目次やらのの有象無象が転がっているだけで、最終的には書店へ行くほうが精神的にも肉体的にも楽な場合が圧倒的だ。非常に稚拙な文章で申し訳ないが例えて言うなら自分の端末の中の”お気に入り”の先には想像を絶する要約があるだけでその先1つ々にも同じようなモノが延々と続いている謂わば”擬似知のフラクタル状態”なわけで、これはハイパーテキストやらキサナドゥだかザナドゥだかも殆どその当初の位置づけには全く達していないも同然で例えばあなたが今ご覧になっているこのWeblogも当然生身のオザワエイイチの要約でありその情報量は非常にプァなものだ。だがこれには非常に有効な解決法がある、もちろん前者のダイジェスティブ文化の終焉とインターネットの類似性に関しては私など全く役に立たないが後者に関しては方法は簡単だ。例えば私の個展へ行くのが先ずは手軽な方法だろう(来年は秋に予定している)しかしこの方法には重大な欠点がある、それはつまり実際に写真展を開催するにはなかなか”入用”である事だ、毎年必ず私の保護者であり最大の理解者であるカミさんの目が三角に釣り上がり一経営者になってしまう程の出費なわけだ。だがこれも劇的に改善する方法があるのでお教えしよう。それはズバリ作品を購入することだ、少なくとも本Weblog上の作品ならば如何様なリクエストにもお答えしよう、勿論価格は応談だ。ただし1つだけ私にあなたのポートレートを撮影させることだけはお勧めしない、要するに私は人間を撮ることが非常に下手であるので毎日不快な気分になることだけは請合う。話が逸れたが今回の記事にうってつけと思われる書籍があるの1つ紹介する。塩谷紘 著 『「リーダイ」の死 -- 最後の編集長のレクイエム』 サイマル出版会 1986年7月 ISBN 4-377-30712-6(これも要約の総本山ウィキペディアからの盗用である)残念ながらネット上の検索で私はこの本を探し出せなかったので、ご興味のある向きは是非書店へ足を伸ばしていただきたい。

本記事については偉大なる友人Toru氏に謝意を表する。

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