そのうちきえてしまうのです
ヒトの名前
昔読んだ本
映画のタイトル
好きだった音楽
よく遊んだ街
忘れてしまった訳ではないのに
その名前が思い出せない。
わたしにとっての「固有」が
ぼんやりとした「概念」に薄まってゆく。
そのうち
わたしそのものも薄まって
きえてしまうのです。
ヒトの名前
昔読んだ本
映画のタイトル
好きだった音楽
よく遊んだ街
忘れてしまった訳ではないのに
その名前が思い出せない。
わたしにとっての「固有」が
ぼんやりとした「概念」に薄まってゆく。
そのうち
わたしそのものも薄まって
きえてしまうのです。
デジタル写真のハードウェアに詳しい方なら既にお気づきかとは思いますが、
流行り物好きな性分なもので、シグマの「DP1」というカメラをこのところ使っております。
専門的な事は別にしても中々味わい深い色合いのファイルが得られるので重宝しているのですが、
それは「RAW」という、デジタルカメラ固有の言うなれば生のファイルをソフトウェア的に処理して
一般的な「Jpeg」という画像ファイルに変換した場合のお話であります。
ここから先は諸先輩方や専門家の皆様もご意見の分かれるところではあるのですが、
個人的には、デジタルカメラとは撮影後、処理無しでもモニタやプリントで十分鑑賞できる画像を生み出すモノ。そう認識しています。
単純に言えばデジタルカメラの機種を選んだ時点で既にフィルムは選ばれており、
現像からプリントのある一定の段階まで済んでいる。そう考えていただいて結構です。
しかしこの「DP1」の高感度特性が、薄暗いところでコソコソとしか撮影出来ないわたくしにはどうも合わないようで、
直接Jpegファイルを吐き出す設定だと納得出来ず、仕方なくRAWで撮影している次第なのであります。
自分の写真にはRAWを使わない。これはデジタル写真を本格的に始めた時から自分に架してきた大原則だったはずなのですが...
このカメラを使い続けるべきか、悩んでいます。
写真にタイトルを付けるようになったのはこのWeblogをはじめてからだ。
それまでは、写真展でも印刷物でも基本的には「既視圏」とだけ記してきた。
どうしても請われた場合には、仕方なく「無題」とすることにしていた。
では何故Weblogをはじめてからタイトルを付けることにしたのか。
それは単純な理由で、無題1・無題2と続いたら恐らく皆さんも自分も検索し辛かろうと思ったからだ。
もちろんその裏には、突飛な題名を付ければ目を引くのではないかという下世話だが切実な目論見もあった。
もちろん最初のうちは結構真面目に考え、少なくとも1つの作品当り数分は考えていた。
だがそれもしばらくすると、写真を決めた瞬間に殆ど自動書記のように考え付くようになった。
ただこれが不思議なもので、画像閲覧ソフトの窓にその写真があるうちは何も思い浮かばず、
記事作成をして確認画面まで行かないとタイトルのタの字も出てこない。
だから沢山の写真に予め題名を付けて保存しておくといった器用なことは出来ない。
習い性といえばそれまでだけれども、なんとも不思議なことではある。
わたしは決して言語能力が優れているとは思わないし、
むしろその辺りは一本螺子が飛んでいると思っているのだけれど、
どうした塩梅か写真とタイトルの相関性を褒めてくださる方が多い。
褒められれば気分は悪くないのは当然だけれど、
モニタに画像が表示された瞬間に入力している自分を思い起こすと、
なにかとても後ろめくまた全くの思いつきだと考えるととても申し訳ないのだが、
褒めてくださる方は、その写真と文字のギャップを埋める作業を楽しめるのだと考えれば、
それはまた楽しいものだ。
昨日コンビニで御仏前と御霊前の袋を前にして悩んでいるヒトがいた。自分は仏教徒だと思っているのでこんなこと書いてはどうかとは思うのだが、どうせ初七日まで葬式でやるんだからどうでも良いかと...(関係ないけど京都に御霊神社という名前のわりにあんまり怖い感じのしない社があって昔良く行った)
防衛省は、すべての防衛省職員と自衛官約26万人に名刺サイズの「自衛隊員倫理カード」を配布することを決定した。(朝日新聞電子版11月30日付け記事より)
日本は馬鹿で滅びる国だと確信した。
参考 防衛省コンプライアンス・ガイダンス(PDF)
一昨日は友人と買い物や食事など要するにぶらぶらしていた。その途中でメモ帳を買ったのだけれども、良く考えてみると仕事以外で他人とすることと言えば呑むか食べるかぐらいしかこの何年もしていなかった訳で、こうやって別に高いものではないけれども「これが良い」とか「こっちにしたら?」等と話しながらする買い物と言うのは実に愉快でありまたそれをこうして遥か彼方の記憶として何年も生きて居た自分がなんとも情けない日々であったかと考えた。
昨日映画に言及したことで思い出したのだが、自分が恐らく10代半ばから彼が亡くなるまで最も親密だった年上の友人が癌でであると、彼の奥様から話を伺う直前にカーラジオから流れていたのは、映画「ぼくの叔父さん」の曲であった。そういえばジャック・タチを30代後半のフランス人は「古臭い昔の俳優」と言っていたが、亡くなった友人もその若いフランス人と似たような年齢だったはずだ。
goinがどこであった知っている我々がknowinであったことしかし我々が傾けるということを知っているAndであるどんなweve見られたAndが我々が知っているほとんど子供たちAndであったかについて言うそれを考え出す、よく、我々は知っているしかし、我々はdontしますどこでweve、我々は何を将来がそうであるAndにしてもらいたいです特定のGive我々時間
どこへのにも道の上にありませんでした
中でさあ
どこににも乗れないターキン
よく、その乗車をしてください
Im feelinは、このmorninをOKします
そして、あなたは知っています、
パラダイスへの道の上にありました
さあ行くぞ、ここでは、我々は行きます
多分、あなたはあなたが私である所で、dontが気にかけるのを不思議に思うでしょう
ここでは、時間が我々の横のTakeの上にあるところは、そこのあなたです...あなたをそこに連れて行ってください
どこへのにも道の上にありませんでした
どこへのにも道の上にありませんでした
どこへのにも道の上にありませんでした
Theresが、私の心の都市です
ついて来て、その乗車をしてください
そして、すべて右、赤ちゃん、すべて右
そして、その非常に遠いアウェイ
しかし、それが日々成長すること
そして、すべて右、赤ちゃん、すべて右
彼らは、何をするべきかについて、あなたに話すことができます
しかし、theyllはあなたをばかにします
そして、すべて右、赤ちゃん、すべて右
どこへのにも道の上にありませんでした
たまには前向きに生きてみようかなと...
Road to nowhere
Well we know where were goin
But we dont know where weve been
And we know what were knowin
But we cant say what weve seen
And were not little children
And we know what we want
And the future is certain
Give us time to work it out
Were on a road to nowhere
Come on inside
Takin that ride to nowhere
Well take that ride
Im feelin okay this mornin
And you know,
Were on the road to paradise
Here we go, here we go
Maybe you wonder where you are
I dont care
Here is where time is on our side
Take you there...take you there
Were on a road to nowhere
Were on a road to nowhere
Were on a road to nowhere
Theres a city in my mind
Come along and take that ride
And its all right, baby, its all right
And its very far away
But its growing day by day
And its all right, baby, its all right
They can tell you what to do
But theyll make a fool of you
And its all right, baby, its all right
Were on a road to nowhere
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